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踊り場のイベント「大踊り場」が発表されて。

コロナ禍になって、色んなライブがなくなって、
ライブってものが、どんどん自分の身近なものではなくなってしまって。

ライブの発表でこんなにドキドキしたのは凄く久しぶりな気がする。


ラジオでの発表というシチュエーション、ラジオのライブイベントという
ライブの性質的に
凄くオードリーのANNの武道館ライブを発表された時の事がフラッシュバックした。

 


忘れもしない、大学の卒業を間近に控えた3月半ば。

23年間ずーっと東京の実家に住んでいた俺が
就職を機に、静岡の三島という片田舎で一人暮らしを初めてすぐの事だった。

確か引越して3日目とかそんなもんで、
まだ日々耳かきだとか、爪切りだとか
引越しの時に持ってこなかった
「あー、これ必要だったわ」って物に毎日気付いて
コンビニに買いに行くような生活をしてた頃だ。


はじめての一人暮らし、しかも友達もいなければ
東京に比べて娯楽施設も全然ない片田舎での一人暮らし。
一ヶ月後に待っているのは
楽しい大学生活ではなくて
真っ暗な労働地獄。

寂しいし心細いし不安だし
将来への絶望感に打ちひしがれていた。

「見慣れない景色」ってだけで
寂しい気持ちになったのはあの時が初めてだった気がする。


その頃の俺の唯一の楽しみが
オードリーのANNだった。

大学2年くらいから聞いてたので
当時で既に3年間くらい聞いてたのかな。
面白いし、特に初期の若林の拗らせ方に
共感し、またパンクロックを感じて
(良くないのだけど)某動画サイトで第一回の放送から全部聴き漁っていた。

(この辺そいえば空気階段の踊り場も全く同じ流れだな)


中々内定が出なかった就活中くらいから
オードリーのANNは楽しみではなくて
生きる支えみたいになっていた。

 

 

その日も部屋でTwitterを見ていたら
オードリーANNの公式Twitter
「全米も泣く大発表あり」みたいな文言がツイートされていた。

ちょうど改変の時期だったので
ついに番組が終わってしまうのではないかと思い
俺はとても不安になった。


これから訳わからないクソ田舎で
独りぼっちの暮らしとクソ労働が始まり
オードリーANNには、そんな生活の生きる支えになってもらうつもりでいたのに
それが終わってしまったら…
考えるだけでも恐ろしかった。


地元の唯一のリトルトゥース(オードリーANNリスナーの総称)にも
ツイートのスクショを貼りつけてラインを送った。

一人じゃこの大きな不安を抱えきれなかった。

地元のリトルトゥースも酷く動揺しており、
一先ず電話でお話をし、心を落ち着かせて放送を待った。

そしてやってきた深夜一時。
普段はしないリアタイ。

いざ放送が始まると
若林が「〇〇君〇〇君(オードリーANNの前の時間帯の番組のパーソナリティ)
お疲れ様でした」
みたいな、普段はしない挨拶をしていた。

その後、いつも通りのおしゃべり(オープニングトーク)


でもそのいつも通りのおしゃべりが
「あえていつも通りおしゃべりしてる」ように聞こえて
どんどん不安が倍増していった。

特に若林は
例えば放送が打ち切りになっても
普通に話してて
「まぁ、この番組終わるんだけど
この前カレー屋に行ったらさ」
みたいな感じでサラッと重大発表をする
みたいなボケをかましそうだから

いつも通りのおしゃべりが
重大発表をサラッとするボケのフリ
なような気がしてしょうがなかった。

一言一句にビクビクしながら放送を聞いていると
「発表があります」みたいな感じになった。

サラッと発表するボケのパターンでは無かった。
だがついにこの時が来た。
不安で不安でしょうがなかった。


そしていざされた発表が
番組終了ではなく、
番組10周年記念ツアー、並びに武道館ライブ決定の発表だった。


ひとまずホッとして、
少し遅れてから、ドキドキワクワクが止まらなくなった。
とにかく楽しみで楽しみで仕方なかった。

(程なくしてから
番組終了にビクビクしてたせいでオープニングトークの内容が
ほとんど頭に入っていない事に気付き、
後日某動画サイトで再度聞いた)

 


あの放送は聞くだけで本当にドキドキワクワクしたので
スマホに入れて何回も聞いたな。
それこそ武道館ライブが終わってからも1年くらいは
何か元気が出ない時にあの会の放送を聞いて
元気出してた。

 

 


話が長くなったし
踊り場の話とだいぶ逸れてしまった。


まぁでもとりあえず
そんな思い出深いオードリーANNの武道館発表された時と
同じくらいワクワクしてますって感じですわ。


眠くなったので寝ますおやすみ。